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ロシア新外交政策予防的核攻撃を容認する

2009年11月20日

モスクワ、11月20日(Itar-Tass通信社)新国家軍事外交政策の草案によれば、ロシアは核兵器保有量を抑止力として見ているが、危機的な状況で予防的核攻撃をするかもしれない。
「核兵器を使う可能性は、状況と潜在的敵対性による。国家安全保障上の危機的状況では、侵略国への核攻撃は、予防的核攻撃を含めて除外されない。』と、ロシア連邦安全保障会議書記ニコライ・パトルシェフが金曜日にRossiyskaya Gazeta(ロシア日刊紙)のインタビューで語った。

同時に彼が強調したのは、ロシアは軍事的方法によってどんな紛争をも解決することに対して断固として反対であり、核兵器の使用について言うまでもないことだ、という事だ。パトルシェフは、ロシアは何よりもまず、核兵器保有量を攻撃や核保有国に対する抑止力として見ていると言い、「潜在的な敵は、核兵器を使って攻撃を解き放つことの無益さを、従来の意味での破壊を思い知るだろう。報復の必然性はどんな潜在的侵略国にとっても、分別をつける要因である。そのような理解は、どんな状況ででも侵略国への受け入れがたい損害を負わせる核戦力の能力に基づく。」と言った。

彼は、ロシアが常に軍縮と核不拡散の信頼できるパートナーであったことを思い出した。「我々が核のない世界という考えを育て、推進する準備ができていることを確認する。しかし、ロシアとアメリカ合衆国だけが核兵器を拒絶するのではなく、現在静観の態度を決め込む『核クラブ』の他の加盟国が彼らに続くことが必要だ。」

パトルシェフは、ロシアに対する軍事的脅威が存在し続けると言った。
「世界の軍事戦略的状況と2020年までの世界の発展の見通しの分析の結果、我が国に対する潜在的が軍事的脅威がなくなっていない事が明らかになった」と、彼は言った。

それらの脅威の中で、彼はロシア国境でのNATOの拡張と同盟軍の活動開始をリストアップした。彼は、9年間の中断後に再開した核兵器の使用に対する支配を訓練するための米戦略部隊の演習を例として言及した。

他の不安定要因は、核、化学、生物等の兵器技術の拡散、大量破壊兵器の製造と国際テロを含む。

エネルギーや他の天然資源の争いのために、北極地域を含む境界地域で紛争の可能性が高まりつつあると言った。その他にも、日本のような国からロシアに対する領有権主張が強まっているとパトルシェフは言った。
イラクとアフガニスタンの状況、中近東、アフリカ諸国、南アジア諸国での紛争、朝鮮半島上の紛争は、中期的な国際情勢に否定的に影響を及ぼすと、パトルシェフは予測した。

国内の軍事的脅威も存在し、大部分は北コーカサスに由来すると彼は言った。

アフガニスタンでの進行中の軍事紛争がロシアの国家安全保障に影響を及ぼす。というのも、それがロシア国境付近への違法な移住を誘発し、違法薬物の生産と拡散という身も凍る結果をもたらすからだ。
昨年、「サアカシュヴィリ(グルジア大統領)の無意味な方針と際限のない野心は、南オセティアで敵意を解き放ち、直接我々の市民の命と安全に影響した」と、パトルシェフは言った。

それは、現代ロシア史の軍事外交政策の第3の変更だ。1993年の文書(第1)は、軍の紛争を除外していた。2000年の変更(第2)は、外交政策が防御的だと言っていた。

「生活は変わり続ける。世界の諸開発は、諸紛争に、もっと大規模であっても、可能性があることを示した。」と、パトルシェフは言った。



以上翻訳終わり。

日本に対して核を使うというわけではないが、朝鮮半島の情勢変化に応じて、いろいろな手段を取れるようにしているのではないか。

原文は
http://itar-tass.com/eng/level2.html?NewsID=14550850&PageNum=0

http://s02.megalodon.jp/2009-1121-1514-13/itar-tass.com/eng/level2.html?NewsID=14550850&PageNum=0
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11月14日のサントリーホールでの演説で、
オバマ子供の頃、母が連れて行ってくれた鎌倉で、
「大仏よりも抹茶アイスに気がとられていた」と言っていたが、
なぜか受けなかった。

http://www.nicovideo.jp/watch/nl8805465?index_top_osusume

「ここは笑うとこでしょ!」
とビデオを見ながら突っ込む私がいた。

同年代の私には子供の頃に抹茶アイスを見た記憶がない。
オバマは本当に食べたのか? ちょっと調べてみた。


1.抹茶アイス・抹茶ソフトの起源

銀座平野園 (東京)
http://www.hiranoen.jp/rekishi-waichi.html
http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/hiranoen.jp/g/tgh18000100m/index.shtml
明治天皇がご病床につかれた折、話一は自ら銀座の地で抹茶を挽き、この
濃茶で抹茶アイスクリームをこしらえて献上した。

矢野自作園 (京都)
http://www.yanojisakuen.com/ninki.html
1955年に京都で一番最初に抹茶ソフトクリーム「グリーンソフト」を出した。

玉林園 (和歌山)
http://shop.wakayamaken.jp/gyokurinen/
http://www.omattya.com/gaiyou.htm
1958年 抹茶入りソフトクリーム、「グリーンソフト」開発。

すいぎょく園(大垣)
http://www.suigyoku.co.jp/SHOP/346781/list.html
1963年からグリーンソフトを販売。
先代社長の父たちが昭和30年前半、箱根で開催の商業会ゼミナールに参加し、
熱心な全国の茶店経営者の9人程で「双葉会」というお茶の勉強会を行って
おりました。
お茶屋で夏に売れるものがないので何か考えようということで始めたのが
抹茶アイスのグリーンソフトです。その頃はクーラーもなく夏には殆ど
お茶が飲まれない時代でした。
一番に始められたのは、和歌山の玉林園さんと聞いております。
スタートメンバーの9店のみが「グリーンソフト」の名前を使えます。

こばやし茶店(姫路)
http://syoutouen.tenkomori.tv/e114625.html
こばやし特製 抹茶入りグリーンソフト
40年あまりに渡って親しまれている味

その他のグリーンソフトは下記の3店が販売。

みやおえん(米原)
http://www.miyaoen.co.jp/frame5.htm

hirakusan(紀宝町)
http://miesuperape.blog34.fc2.com/blog-entry-61.html

茶しん(長浜)
http://www.chashin.co.jp/cgi-bin/chashin/sitemaker.cgi?mode=page&page=page5&category=0

2.抹茶アイス・抹茶ソフトの一般化

サーティーワン
http://news.livedoor.com/article/detail/4438653/
アイスショップ・サーティーワン1986年抹茶味のアイスを発売したことがきっかけで
ブームが起こり、その流れでメーカーが抹茶アイスに力を入れだした。

玉林園
http://www.omattya.com/gaiyou.htm
1987年全国へ向けグリーンソフト(ハード)の展開。

ハーゲンダッツ
http://www.haagen-dazs.co.jp/company/history/history03.html
1996年初めての日本市場向け商品「グリーンティー」を発売。

3.オバマは鎌倉で抹茶アイスを食べたのか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E
1961年 ハワイで生まれ、1967年までハワイで育った。
1967年から1971年までオバマはジャカルタの公立のメンテン第1小学校に通った。
1971年 オバマは母方の祖父母と暮らすためにホノルルへ戻り、1979年まで学校に通った。
1979年 カリフォルニアの大学に進学。

オバマが日本に来たとすれば、1967年1971年だろう。
この頃には、関西・中部の茶店中心に小規模に抹茶ソフトが売られていた。
マスメディアは今ほど発達しておらず、ネットはなかった。
東日本の鎌倉に抹茶ソフトがあった可能性は小さい。
当時の日本人が知らないものをアメリカ人が食べるのか?

ただ、オバマが抹茶アイスを食べた可能性を全否定できない。
個人的にはスピーチライターが日本向けのリップサービスにまぎれ
込ませた可能性が強いと思う。


結論:黒に近いグレイ。

それにしても、明治時代にすでに抹茶アイスが明治天皇に献上されていたとは。
当時、超贅沢品だっただろうが、日本人恐るべし。

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